第1巡:討論:古宮 担当分

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発表:2003/05/01

「限界を超えて」討論(5月1日)

基礎プロジェクト2 第2グループ B班
30789 古宮正憲

 「世界の人々の意識が、自分の生活レベルや資源の使用を抑えてまで、持続可能な社会へ 至るために努力しようと決意することは本当に可能なのか?可能であるとするならば、どう やってそれを実現させるか?」

(1)本書における著者の見解

 本書の中で著者は、これからの世界の行く末のさまざまな可能性を挙げているが、それら はあくまで選択であり、ワールド3は将来の予測をするものでもなく、世界が実施すべき計 画を提示するものでもないことを強調している。また、第8章の最後に、「選択とは、どのモ デルを選ぶかということである」とした上で、人類が選択しうる3つのモデル(と、世界の 行く末)を挙げている。

 【1】この有限な世界には、実際上の目的にとってはいかなる限界もない、とする。
    →限界をさらに超え、破局に行き着く。

 【2】限界は現実に差し迫っているが、もはや時間が足りず、人間は節度をもつことも責任を 感じることもできなければ、情け深くもなれない、とする。
    →まっすぐ破局へ向かう。

 【3】限界は現実のもので差し迫っているが、時間は(無駄にすることは許されないものの) 残されており、エネルギー、原料、資金、環境の回復力、人間の美徳も、より良い世界を目 指す革命の実現に足りるだけのものがある、とする。

 著者は、さまざまなデータやコンピュータモデルを根拠に【3】のモデルが正しい可能性を主 張する。ここで、人間の美徳があるということが何を意味するかは特に示されてはいないが、 ここでは、持続可能な社会へ至るために行動しうること、あるいは、そのために努力しよう と決意することが出来うること、と理解してよいと思われる。
 さまざなシナリオを示したあとに最終章である第8章に人々の意識(の変革)の問題を取 り上げていることや、著者の信じる【3】のモデルの中で人間の美徳について触れていることか らもわかる通り、ワールド3がいかにさまざまな将来の可能性を示していても、持続可能な 社会を実現させるためには、最終的には人々の意識の変革が必要不可欠であると著者は主張 している。
 では実際に、世界の人々の意識が、自分の生活レベルや資源の使用を抑えてまで、持続可 能な社会へ至るために努力しようと決意することは本当に可能なのだろうか?そしてそれが 可能だとすれば、いかにしてそれを可能にさせるのか?
 この問いに対して著者は、世界の国と人々を持続可能性の方向に向ける大規模な社会変革 のことを持続可能性革命と言い、それは計画や指示によって達成されるものではなく、持続 可能性革命が起きるとすればそれは有機的で進化的な過程を経ることになるであろうと述べ ている。どうすれば持続可能性革命が起こせるのか知る者はいないとしながらも、有益と著 者が考える5つの手段を挙げている。それは、(1)ビジョンを描くこと、(2)ネットワーク作 り、(3)真実を語ること、(4)学ぶこと、(5)愛すること、である。
 本書は、この5つの手段の抽象的な解説と、上記3つのモデルの話で、全体を締めている。

(2)著者の見解に対する意見

 著者は上記【3】のモデルを、さまざまなデータやコンピュータモデルを根拠に正しいと主張 しているが、著者自身で重要視している人々の意思の部分に関しての「人間の美徳も、より 良い世界を目指す革命の実現に足りるだけのものがある」という文に対しての根拠なしに言 っているように感じられる。また、有益と著者が考える5つの手段は、あまりに具体性に欠 け、持続可能性革命の実現には距離が感じられる。
 さまざまなデータやコンピュータモデルが、「限界は現実のもので差し迫っているが、時間 は(無駄にすることは許されないものの)残されており、エネルギー、原料、資金、環境の 回復力が、より良い世界を目指す革命の実現に足りるだけのものがある」という結論を導く のであれば、あとは人々がその結論を信じ、持続可能な社会を実現させるために行動するの みである。もちろん、このことが一番大変で、一枚に結論の出る話ではないが、最も重要で あり、最も考えるべき部分のはずである。本書が、持続可能な社会が実現可能であることを 人々に伝え、何らかの問題提起することや、多少なりとも意識の変革を目的の一つとするの であれば、人々の意識の変革やそれを促す手段についての議論が少なく、抽象的で、自信に 欠けているように思われる。

 そこで、あらためて「世界の人々の意識が、自分の生活レベルや資源の使用を抑えてまで、 持続可能な社会へ至るために努力しようと決意することは本当に可能なのか?可能であると するならば、どうやってそれを実壊させるか?」という問題を(シミュレーションコースの みんなと一緒に☆)考えたい。

(3)自分の見解

 この問いに対する答えを考えていく上で、人間の特質として以下の二つがあることを前提 に考える。

 【1】人間は賢く(倫理的な面は含まず)、人類は持続可能性の達成という根本的な課題に取り 組むだけの能力がある。

 【2】人間は基本的に自己の利益を優先する。ただし、一人で生きているのではないので理性 や協調性はある。また、何が(社会的な)自己の利益かは、育った環境によって作り上げら れる。

 人は自分の利益を優先するのであるから、数百年先、あるいは、聞いたこともない国の人 のために自分を犠牲にしようとは考えないので、世界の人々が自分の生活レベルや資源の使 用を抑えてまで、持続可能な社会へ至るために努力しようと決意するとはとうてい思えない。 たとえ子孫のことを考えても、めぐりめぐってやってくるかもしれない自分の利益を考えて も、なかなか自分を犠牲にする人はほとんどいないように思われる。
 しかし、持続可能な社会に向けて人々が行動できないとは考えない。著者の言う5つの手 段も、教育や社会のルールの中で具体性を帯びれば有用であるであろうと考える。また、人 は、文化による差異こそあれ、社会の中で暮らしているので、持続可能な社会に向けた行動 が、自己の利益になると感じるような、あるいは(仕方なくと感じても)社会的に当たり前 になるような社会(=育つ環境)に作為的にしてしまえばよいのではないかと考える。この ようなことは、政治や教育や宗教といったさまざまな問題に直接的に関わってくるが、他に 手段はないと考える。日本などでも、革命までには途方もない距離ではあるが、多少なりと も環境に良いものが社会的に(意識的に、あるいは社会のルール的に)優先される気風にあ るし、やり方しだいでは不可能ではないと思われる。

 ただ、一部の人々や国々が危機感を持って持続可能な社会に向けてしている行動を画一的 に他の人々や国々に押し付けるべきではないので、まずは意識を向けさせるという意味では、 身近な人とこういった問題について話してみるのが、難しい政治的な手段を考えるより、と りあえずは有用な手段であるのかもしれない。

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