第1巡:討論:坪内 担当分

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発表:2003/05/01

基礎プロジェクト2
Beyond the Limits「限界を超えて」

担当 坪内 俊一

<はじめに>
 この本で述べられている内容のうち次の点について私の見解を述べたいと思う。

1.「持続可能な世界を目指すのに時間は残されているがその時間は少ない」と「持続可能 性革命が完全に進展するまでには何世紀もかかるだろう」という筆者の意見は「破局」 を意味しているのではないか?しかし、結論は破局以外の選択肢も多くのこされている というものである。これは矛盾しているのではないだろうか。

2.「“節度ある世界は厳格で中央集権的な政府統制型の世界である”という心的モデルは 間違っている」という筆者の意見は正しいだろうか。地方分権の進んだ世界が実現され る根拠が説明されていない。「いくつかの決まり」としてオゾン層に関する国際条約が例 としてあげられているが、果たして例として適切だろうか。

 上記の2点に関して述べたあと、それを支持する次の事例を紹介する。
3.化学物質(塩素系化合物)の製造およびその危険性評価について

<1.持続可能性革命>
持続可能性革命は農業革命・産業革命と同様に世界を大きく変えるものである
 →たしかに世界のあり方を大きく変えるという点では似ているが、本質的には全く異な るものではないだろうか。

 農業革命も産業革命も成長の方向を変えるものであったとしても、根本的には「より成 長するための変化」を求める人間の本質が起こしたと考えられる。それに対し、持続可能 性革命は人間の成長指向を大きく抑制するものである。したがって、変革に伴う障害や過 程においても全く異なるものになると思われる。
 つまり「成長は適切な範囲に抑え、物質的に十分な生活が維持できるようになれば成長 しないようにする」という考えは自然と生まれるものではない。その選択肢を人類がとる ようにするにはどうすればよいかについて筆者は次の5つの方法を提示している。

ビジョンを描くこと、ネットワークづくり、真実を語ること、学ぶこと、愛すること
 →この方針にしたがったら一体どれだけの時間がかかるだろうか。

 もちろんこういったことは持続可能な社会を目指す人々には効果的なことかもしれない。 しかし、そうではない多くの人々に対してこの指針のもと教育や宣伝をしていたのでは破 局を先に迎えてしまうのではないだろうか。
 では、どういう指針のもと持続可能な社会を目指せばよいか。変革への時間が残されて いないことを考えれば、それは国際的な機関による強力な調整(統制といってもいいかも しれない)であるのではないか。もちろん、全ての場面においてというわけではない。負 のフイードバックループが機能して、行き過ぎを防ぐことができるものもあるだろう。し かし、地球環境・人間を含めた生態系全体に大きな影響を与えうる様々なことがらについ て強力な調整なしには行き過ぎを免れないように思う。

<2.持続可能な世界の姿>
持続可能な世界は中央集権的・政府統制的な世界ではない
 →統制的な調整なく持続可能な状態に移行し維持することが出来るだろうか。

 1.でも述べたように、持続可能な世界への移行は人間の成長指向に少なからず反する ものである。したがって、その過程において少なからず強制力が必要になる。しかもそれ は全世界的に公平に(なにをもって公平とするかは別として)行われなければならない。 それを実行に移すにはやはり、国際的な機関によって強力にすすめられるしかないだろう。 そのためには当然、化学物質による汚染や工業生産、人口等を監視し、管理する権限が与 えられる必要がある。
 この本の中で漁業が破局を迎えてしまう例としてだされている。負のフイードバックル ープが機能しないために、外からの調整が必要となる例である。このような例は他にも数 多く見出すことができる。漁業の場合で言えば調整を行うのは国際機関かその国の政府で あろう。

 ここで「オゾン層に関する国際条約が持続可能な社会で守らなければならないいくつか のルールの一つの例」として示されているがこれは例として適切とは思えない。なぜなら、 後述するように地球環境・生態系に甚大な影響を及ぼす化学物質はすさまじい数であり、 その全てに関して条約を結ぶのだとしたら(オゾン層の場合と同じようなスピードで実行 するというのならそもそも不可能)、とても新たな技術や工業製品を作り出すことはできな い。「技術開発は特別な条件下でしか許されない」という結論を導く。
 また、筆者は次のように考えている。

持続可能な社会は地方分権が進んだ社会である
 →社会の構成者全員が同じ目標に向かうという理想論にすぎない

 仮に社会の構成者全員が持続可能な社会にむかうという目標を持ち続けられればそんな 社会が存在し得るかもしれない。しかし現実的ではない。より多くのものを求めるという、 姿勢があるかぎりは抜け駆けしようとする人がいるはず。(この考えは成長を前提としてい る思考が生み出すものだ、と筆者は述べている。しかし人間の本質が成長であるならば、 抑制されない状態においてはこの思考は当然である)
 さらにここで生態系の持続可能性が多様性にあることを引き合いにだして、持続可能な 社会が実現すれば地方分権が進むことの論拠にしているが、多様性が持続可能性を生むの は各々が成長を目指し、そのシステムに過大な負荷をかけない状態であることが条件であ り、この場合では各々の活動が生態系、地球環境というシステムに大きな負荷をかけると いう点で全くあてはまらない。

 〜以上の2つの点をまとめると〜
 筆者の「持続可能な社会に移行しそれを維持するためにはまずは、構成者である人類の 考え方を変え、行動を変えていくべきである」という考えに対して、私は「まずは、人類 が破局に向かって手遅れになる前に、大きな力でシステムを多少歪めてでもあるべき方向 に修正し、その後それを維持するのに必要な形にシステムを変えていくべきだ」というの が私の見解である。

<3.化学物質(塩素系化合物)の製造および危険性評価について>
 ここで、上に述べた見解を支持する事例を挙げる。
 「現在までに11,000種の塩素系化合物が意図して作られ、数千種の副生物が意図に反し て作られている。さらに、新規の化学物質が、毒性学者が危険性を評価出来るより早いス ピードで、市場に送り出されている。1990年代初頭に、アメリカ環境保護局(EPA [U.S. Environmental Protection Agency])は、128種類の化学物質の排出ガイドラインを設定 し、100種類弱の化学物質の健康に対する評価基準を作り、10種類弱の化学物質について 大気放出基準を発行した。これが30年間にわたり精力を注いだ努力の結果である。 たっ た一つの有機塩素系化合物−ダイオキシン−の危険性に関する科学的評価についても、 EPAは1991年に着手して以来、未だに完成していない。」(「化学物質問題市民研究会」の ページより転載)
 このように環境の汚染に対して、市場と技術によってはもちろん事態は改善されない。 (むしろ技術が発展すればより多くの物質が合成されるようになり、事態は悪化するかも しれない)規制をとりいれようとしても、企業に対して自由を保障すれば、十分な(場合 によってはほとんど見つからないかもしれない)科学的な証拠がないことから規制できな いということになるだろう。実際、化学物質の有害性が一定のレベルで科学的に証明され るまでには時間がかかるし、その物質の製造が中止されてもその代わりとなる物質が有害 でない保証はない。また、ある国では規制されていても、他の国では規制されていなかっ たら事態は何も改善されない。
 こういったことを考えれば、やはり国際的な機関が環境に悪影響を及ぼしうる化学物質 に関する開発・使用を大きく制限する必要があるように思う。たとえそれが技術の進歩を 妨げたとしても、その損害よりも汚染が広がらない利益のほうが大きいだろう。

以上

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