第1巡:総括:藤田 担当分

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発表:2003/05/08

シミュレーション基礎プロジェクト2
第2グループ第1ラウンド 総括レポート

−「限界を超えて」の内容紹介及び討論についての報告−
工学部システム創成学科シミュレーションコース 3年 03-30798 藤田 智

1)内容の概要

1-1)内容紹介の進行

 ほぼ全て、文献「限界を超えて」(Donella H.Meadows, Dennis L.Meadows, Jorgen Randers著、茅陽一 監訳、松橋隆治,村井昌子訳 ダイヤモンド社)の逐次的な要約が、資料の配布と共に担当者から読み上 げられる形態であった。担当者は淺田・梅城・岡田・樫木(全て敬称略)であり、それぞれ順に主として1・ 2章、3・4章、5・6章、7・8章を担当した。
 読み上げの後の質疑応答では、教官の指摘により配布資料中でやや誤解を招きやすい表現が改 訂された。「ワールド3」の基本的説明を丁寧にして欲しいという要望が松井氏から梅城氏へ出されたが、 これに対し梅城氏は、予め文献を読んでおく事が前提となっているためその必要はないとし、内容紹介の 位置づけ自体に関して参加者間で齟齬が生じていた可能性もある。
 以下に、紹介として述べられた文献「限界を超えて」の要約を更にまとめたものを載せる。

1-2)文献「限界を超えて」再要約(内容紹介時の配布資料の要約)

 「限界を超えて」は「成長の限界」(1972)の続版とも言える。「成長の限界」では「ワールド3」モデル による計算機シミュレーションの結果として、人類の成長には限界があり、これを越えると急激な減退が 生じる可能性が高いとした。「限界を超えて」では、再び行った「ワールド3」のシミュレーションの結 果と共に、既に人類が限界を超えた事、限界から引き返す必要がある事を述べる。
 限界を超えて成長してしまう「行き過ぎ(オーバーシュート)」の原因は変化の急激さや抑制の困難さで ある。行き過ぎの結果は破壊、もしくは方向転換・減速・訂正である。
 従来の人類社会では、心理的・制度的・経済的要因から人口や工業生産などが成長してきた。人口増加 数は人口そのものと共に増加し、その傾向に貧困問題が拍車をかけている。工業生産は工業資本とともに 増加する。こうした正のフイードバックループの存在により、人類社会は幾何級数的な成長を続けてきた。 結果として資源やエネルギーのフロー(スループット)も増大した。
 資源・エネルギーのソースは、再生可能なものと再生不能なものがある。一方シンクとは汚染である。 再生可能なものの利用は再生速度を超えてはならず、再生不能なものの利用は再生可能なもので代用でき る速度を超えてはならないし、シンクの利用は環境が吸収できる速度を超えてはいけない。再生可能なソ ースには食糧・水・森林、再生不能なソースには生物種・化石燃料・原材料がある。ソースやシンクは総 じて上記の限度を超えて利用されているが、利用の低減が可能な場合がある。
 人類社会が成長の限界を前にどう振舞うか、定性的に調べるために「ワールド3」によるシミュレーシ ョンが行われたのである。ワールド3では、様々な要素が相互作用するシステムとして人類社会と環境を モデル化している。シミュレーション結果は例えば、限界が無ければ永久に幾何級数的成長が続き、限界 があるにもかかわらず人類社会が対策を取らずに成長を続けようとすれば、限界をある程度超えた後は人 口や工業生産が激減し汚染が残るという破局に至る、といったものになる。
 オゾン層破壊防止のためのフロン撤廃は、人類社会が限界に直面し対策をとった好例である。その過程 から、限界への対処には情報システム(環境監視や話し合いの場)、国際協力、協定の柔軟性、各当事者の 積極的参加が重要である事、世界政府は不要である事などがわかった。
「ワールド3」を用いて様々な前提のもとでシミュレーションを行ったが、殆どの場合は破局に至った。 技術と市場原理のみでは破局を避けられない。急速に迫る限界に対処しきれないのである。
 一方、シミュレーション結果の中には技術革新では技術開発、汚染防止、資源節約、人口抑制等の対策 を極めて迅速に行えば、破局を避けられるというものもあった。技術的経済的対策のみならず、情報の流 れを変え、対策を迅速に行う様にする事が、持続可能な社会の実現に必要である。それは農業革命・産業 革命と並ぶ重大な革命となる。その手段の指針としては、「ビジョンを描くこと」「ネットワークづくり」 「真実を語ること」「学ぶこと」「愛すること」が挙げられる。

2)議論の概要

2-1)議論の形態

 文献に関する討論は主として、
●文献の内容について担当者なりの解釈をまとめる
●担当者が特に関心を持った点について追加で調査・考察を行ってまとめる
●担当者が文献の内容について抱いた疑問点を論じ、場合によっては代案を提示する
といった事が担当者の配布資料及び口答発表により行われ、その内容について(原則として)任意の参加者 が意見交換を行った。担当者は川崎・古宮・篠原・坪内(全て敬称略)であった。以下に議論の具体的内容 を記す。必ずしも順序を実際の議事進行とは一致させず、ある意見表明から生じた数々の意見をまとめて 配置するという方針で記した。

2-2)議論の具体的内容

 川崎氏はまず、最近の世界的な人口・消費・生産・汚染に関する各種の統計値を列挙した上で、消費や 汚染については減少、又は増加率の減少が見られるとした。一方で発展途上国での人口が急増しているた め、人口政策が重要であるとした。一方、統計年の少なさや途上国の情報の欠如、98年が異常年である事 などから、消費や汚染の減少傾向は配布資料だけでは確認できず、消費や汚染に対する川崎氏の見解は楽 観的過ぎるという意見が梅城・藤田・教官などから出され、川崎氏もその可能性を認めた。川崎氏はまた、 著者の「5つの意識改革」はシミュレーション等の技術に比べて問題の解決手段として非現実的であると した。これに対し教官は、技術を用いる人間の意識改革が必要なのだとした。「5つの意識改革」につい ては後述の様にこの他にも議論全体で各人からいくつかの問題点が述べられた。
 古宮氏は人間の意識の問題についての著者の意見をまとめた上で、「5つの意識改革」には具体性を欠 くこと、そして著者の記述自体が自信に欠いている事を批判した。そして、【1】人類は持続可能性を達成す る能力を持つ、【2】人は利己的だが、何が自分の利益かは環境によって変わり、協調性も併せ持つ、という 前提の上で、教育や制度によって持続可能な社会へ向けた行動が各人の利益となる様にする、という提案 を行った。意識改革の方法として、岡田・浅田からは、「限界を超えて」の様な著作、啓蒙活動が重要で あるという意見が出された。著者の記述に自信を欠く部分があることに対して、岡田氏は仕方ないと結論 した。人は利己的であるという前提に対しては、松井氏が古宮氏に論拠を求めた。古宮氏は自分自身の感 覚からであるとした。川崎氏も、人はやはり利己的なものではないかという意見を表明した。
 篠原氏は、「持続可能な開発」という概念について整理した後、その実現可能性を探った「ワールド3」 のシミュレーションを高く評価。一方で、その結果から直ちに各国が全体として最適な行動をとるとは限 らないとし、各国の整合のための目標設定や情報交換が重要であるとした。資料の末尾では、化石燃料に 代わるエネルギー源の有力候補である3Heによる核融合が未だに実用化困難である例を挙げ、資源の枯渇 には十分な注意が必要であるとした。
 坪内氏は、持続可能性革命は農業革命・産業革命と並ぶというよりはむしろ本質的に全く異なると捉え るべきだ、と述べた。農業革命・産業革命が成長促進的であったのに対し、持続可能性革命が成長抑制的 である、というのが論拠であった。また、「5つの意識改革」は即効性を欠くとし、行き過ぎの防止には 各人の意識改革のみならず強制的な調整が必要であるとした。持続可能な世界が中央集権的・政府統制的 ではないという著者の意見に対しては、統制が無ければ持続可能な社会は実現できないし、分権的な社会 では構成者全員が持続可能な社会へ向かうわけではないため持続可能性の実現は難しい、と批判した。こ うした主張を指示する例として、化学物質の製造に危険性評価が追いついていないという問題を挙げた。 持続可能な社会の実現に強権的な統制が必要としたことについて教官からは、統制に先立つ民主的決定を 考えれば、各人の意識改革が必然的に重要になるという指摘がなされた。また、持続可能な社会の実現に 時間がかかるという意見については、持続可能性革命はその性質(定義)からして永遠に続くと教官が述べ た。「5つの意識改革」には即効性を欠くという意見に対しては、「5つの意識改革」は行き過ぎ(対策の 遅れ)の主要因である情報の不備を無くす確実で即効性のある対策であると藤田が反論した。その具体例 として市民ネットワークによる指導者への警告が挙げられた。この議論では「5つの意識改革」と必要な 具体的統制とが矛盾しない事が確認された。
 尚、教官は議論の途中で、全般に近年の東京大学の学生が以前と比べて主体性を欠く議論を行う傾向に あると批判した。
 川崎氏からは、自由競争に基づく市場原理と成長の抑制は矛盾するのではないかという疑問が提示され た。これに対し藤田は、本来の市場には需要の飽和という自己抑制機能があるとし、「限界を超えて」の スタンスが市場に対してやや悲観的過ぎるとした。山中氏は、成長(growth)ではなく発展(development) が促進される市場経済も実現可能であるとした。教官は市場にはある程度の規制が必要であるとしながら、 山中氏の意見にほぼ同調した。
 樫木氏は、文献「限界を超えて」の様な警告の後も人類社会が無理な成長を続けるならば、それは人類 自らの主体的選択であるから、破局もかまわないとした。これに対し教官からは、将来の世代に対する責 任という問題点を提示。松井氏は、世代間の対話という観点から、人間は将来の世代に対してもある程度 の責任を持つとし、樫木氏の意見に釘をさした。
 李氏は、「限界を超えて」の記述は一国のモデルに基づいており、環境等の問題はこの文献の様には解 決できないとした。この意見について教官は、この文献は一国のみの事を書いているわけではないが、「ワ ールド3」は人類を単一グループにまとめて扱っており、多様な国家が並存する現実世界を再現しきれて いない可能性があると述べた。尚、李氏は(議論の途中の一時期に行われた)参加者から半強制的に意見を 聴く様な議事進行の意義に関する疑問を述べた。この点については教官は、議論の訓練としての基礎プロ ジェクト2は有意義であると述べ、(議事進行に於いて中心的であった松井氏は)議論を行わなければこの プロジェクトの意義は無いとした。
 梅城氏からは、文献の295頁にある「環境は贅沢品」という表現は誤りだという記述について、必ずし も誤りではないと反論した。これに対し、この記述は事実の正誤を明確にするというより、偏った解釈を するなという事であるといった主旨の(と思われる)意見も出た。
 議論全体を通して、文献の立場と異なる意見が提示され、その後の議論において文献の立場を支持する 意見が出されるか、或いは初めに提示された意見が文献と必ずしも矛盾するものではないという意見が出 されるというケースが少なくなかった。

3)自分の見解

3-1)プロジェクト進行形態について

 シミュレーション基礎プロジェクト2では、参加者が初回までに文献を全て読んで理解する事を、義務 ではないにせよ、前提としてよいと考える(それを許さないかの様に聞こえる質問が某氏から出て驚いた が)。そうした場合、殆ど逐次的な要約のみが述べられる今回の形態の内容紹介は、無駄が多すぎる。む しろ、逐次的要約は最小限にとどめ、大域的な内容理解のための枠組みを図表等を活用して発表する形式 を採用した方が、各人の理解の特徴が前面に出て有益であろう。また、内容紹介では著者の意見と発表者 の意見が区別しにくい場面があったので、特に意見の主体を明確にして発表する必要性を感じた。
 討論については、担当者以外からの議題提案が時間の都合から難しい点に問題があった。この点も含め て2週間連続討論化を検討する必要があると感じる。李氏は発言の義務の有無の問題を提示し、私はこの 点について基本的に義務は無いと考える。但し、議論が無意義だと断言するならば、その理由を十二分に 説明する責任がある事も確かであり、李氏がその責任を果たしたとは言い難い。一方で、発言しなければ プロジェクトに参加した意義が無いとした松井氏の意見も、話を単純化しすぎている。
 本報告書の2-2の末尾に、文献に対する異論がそのまま残る事は少なかったとしたが、仮に議論の結論 が文献の主張と大差ないものとしても、その過程で経た多様な意見の吟味は文献内容の背景を理解すると いう点で非常に有益であると考えられ、決して悪い傾向ではない。

3-2)文献内容及び議論の内容について

 実際の統計値を基に議論する川崎氏の堅実なアプローチは、その後の氏の結論には不備があるといえ、 とかく仮想モデルに走りがちな私(←「SIMコース生」、と書くのは語弊ありか?)が見習うべきものであ る。
 「5つの意識改革」への批判には、5つの改革がなされても問題解決には不十分だというものと、5つの 改革のための具体的手法の提案が不十分だというものがあり、川崎・坪内は前者、古宮氏は後者の立場で あったといえる。私はこの2タイプの区別を明確化せずに発言してしまい(具体的には、前者のタイプの批 判に反論を行うつもりで「『5つの意識改革』の評判が全般に悪すぎる」と述べてしまった)、反省してい る。「5つの意識改革」は、市場や技術等を活用した持続可能な社会の実現のために必要な基盤整備であ り、その具体的改革手法がもっと論じられ、実践されるべきである、というのが私の見解である。
 私はやはり自由市場経済にはある程度の自己抑制機能があると考えている。近年の先進国の経済の停滞 は、先進国の多くの国民の経済的・物質的需要が飽和したために必然的に生じているもの(途上国への資 本の流出という原因もあるが、これも国際的に見ればごく健全なこと)であり、市場原理を生かした持続 可能な社会へなるべく自然に移行する好機であるとすら考える。少なくとも、この様な時期に消費拡大を 叫んだり、「不景気」(この語も再考の余地がある)を闇雲に悲観的に煽るべきではない。
 持続可能性革命を農業革命・産業革命と同列に論じるべきでないとする坪内氏の指摘は適確と感じた。 持続可能性革命は、意図的・恒久的に成長を抑制するという、質的に全く新しい革命なのである。
 坪内氏は地方分権的な社会で持続可能性を実現することは難しいとしていたが、これに関して私は、地 方分権的社会では自治体が柔軟で機敏な政策をとる事ができるであろうし、多様な政策に関する経験を共 有出来るという点で、持続可能な社会の実現へ向けてメリットもあると考える。
 「ワールド3」では人類を単一グループにまとめてしまっているが、著者自身が文献の45頁前後で所得 分配の不平等が人口増加を促進していると述べている通り、人類を複数のグループに分けなければ再現で きない重要な問題がある。人類を単一グループにまとめた一群理論と、いくつかのグループ(例えば裕福 層と貧困層)に分けた多群理論とでシミュレート結果の比較を行い、そこに重大な相違が見られないかど うかを確認することで、ワールド3のシミュレート結果の信頼性が大きく左右されるであろう。
 警告の後も人類社会が無理な成長を続けて破局する事は、人類自らの主体的選択であるからかまわない とした、樫木氏の提案は非現実的である。全人類が主体的に破局を選択する事はありえない(破局の方向 に人類が動くとしても、それは一部の人――おそらく破局による害をあまり受けない裕福な集団――のみ の選択によるものか、或いは限界に関する十分な情報を知らないままに行った選択によるものである)し、 私は松井氏と同様、一般に人は将来の世代に対する責任をある程度まで負うと信じるからである。

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