第1巡:総括:山中 担当分

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発表:2003/05/08

限界を超えて 総括 担当 C班

山中桂一郎

 著者らの研究によると、人間が必要不可欠な資源を消費し、汚染物質を産出する速度は、 既に物理的限界を超えてしまった。人類は「オーバーシュート(行き過ぎ)」してしまった のである。物質、およびエネルギーのフローを大幅に削減しなければ、今のままでは一人 あたりの食糧生産量、エネルギー消費量、工業生産量は何十年か後には制御できない形で 減少してしまう、という結論が得られた。
 そこで著者らは、人類経済が地球の収容力に近づく際、このままだと人口および経済が どのように振る舞うのか調べるために「ワールド3」というコンピュータ・モデルを走ら せた。
 その結果、このままだと人類は破局を迎えることがわかった。さらに悪いことに、技術 を駆使してでも破局は避けられそうにないことがわかった。「ワールド3」に、著者らが仮 定していた2倍の量の再生不能資源が地中に存在、汚染防止技術が開発され、それが世界 中で実行、農業収益率の向上、土地保全や資源を効率よく利用する技術の開発、といった 仮定を組み込んでみても、遅かれ早かれ破局を迎えるという結果が得られたのである。
 技術以外にさらに必要なこと。それは、人々の考え方を根本から変えることだった。人 間の目標とは多く所有することではなく、充分に所有することである、とするのである。 上記のような技術革新と共に、人々が経済的な欲求や生活水準の抑制を決心することによ り、1人あたりの工業生産を抑制、さらに将来の世代のことを考えて夫婦が育てる子供の 数を制限するという、人口抑制策を取り入れたところ、「ワールド3」は人類が破局を迎え ることのない、「持続可能」な社会の実現を示したのである。ここでいう「持続可能」な社 会とは、物理的な拡大より質的な主眼を置く社会である。
 このような社会を作るためにはどうすればよいのだろうか?著者らが考える、人々に必 要なことは「ビジョンを描くこと」、「ネットワーク作り」、「真実を語ること」、「学ぶこと」、 そして「愛すること」である。

討論の概要

・今、真に求められていることは人間性の改革か、それとも技術の発展か?

 本書では、持続可能な社会を作るためには心的な要素が不可欠であると書かれている。 また、著者がもっとも重視したいことでもある。
 持続可能な社会を作るためには一人一人の意識改革や技術の発展が必要である。人々の 意識改革に必要なことというのは政治、経済および社会システムの改造であろう。しかし、 そのリーダー達を動かすものは技術なのである。
 したがって、著者らの言う心的な要素を人々に持たせるものは技術なのだから、持続可 能な社会を作るためには、技術の発展が先決なのではないだろうか?


・本書では、持続可能性革命は農業革命、産業革命と同様に世界を大きく変えるものであ る、としているが果たしてそうだろうか?

 農業革命も産業革命も「より成長するための変化」を求める人間の本質が起こしたもの である。しかし持続可能性革命は人間の成長指向を大きく抑制するものであるため、前者 と異なるものになるのではないだろうか?


・統制的な調整なく持続可能な状態に移行し、それを維持することができるのだろうか?

 持続可能な社会に移行し、それを維持していくためには人々の考え方を大きく変える必 要がある。そのためには多少なりとも人々や社会に対して、何らかの強制力が必要なので はないだろうか?
 また、国際機関に化学物質による汚染や工業生産、人口などを監視および管理する権限 が与えられるべきでは?


・世界の人々が、自分達の生活水準や資源の消費を抑えてまで、持続可能な社会の実現の ために努力しようと決意することは可能か?可能であるとすればどうやってそれを実 現させるか?

 おそらくは不可能であると考えられる。人間の中には「やっぱり自分が一番大事」とい う考えが根底にあるため、将来の人々のために自分達を犠牲にするということは考えにく い。だが、将来の人達のために、我々が努力する責任はあるのではないだろうか?

見解

 本書の最後の方で著者は、限界は現実のものとして差し迫っているが、時間は残されて いると言っている。そして、そのモデルが正しいかどうかは試してみる以外に無い、とも 言っている。かなり無責任に感じられる結びであるが、実際にそのとおりだと思う。
 「ワールド3」で得られるのは「妥当」な将来の人口や、経済の振る舞いである。よって 将来、可能性はとても低いだろうが、誰もが予想していないような乾坤一擲の技術や政策 が発案されれば、万事解決という事態もありえるのである。逆に、シナリオ10のように人 口や経済が安定に振舞ったとしても、天変地異や戦争によって一気に破局を迎える可能性 もある。

 人々(特に先進国)が自分達の生活水準や資源の消費を抑えて、持続可能社会の実現に 向けて努力することは、限りなく不可能に近いと思われる。
 遠い将来のために、今後はこれまでより生活水準を低くするべき、と言われ、実行でき るものだろうか。これまでの生活に慣れ親しんでしまった人々が、今より水準を抑えた生 活に満足できるのだろうか。私にはそうは思えない。
 仮にそれを実行することによって、遠い将来確実に持続可能社会が実現するとしても、 生活水準を低くする人々には何の利益もない。利益を得るとしたら、遠い将来の人々であ る。目先の利益のためなら、人々は多少の苦労も我慢できるだろう。だが、耐える期間が 長い、さらに何の利益も得られそうに無いとしたらそうはいかないと思う。さらに、何世 代も後の人々のために、現在の人々がある程度の犠牲を払うことなどできないように思え る。
 持続可能な社会を作るためには、まずは人々の抜本的な意識改革が必要、という著者ら め主張は納得できる。が、実現は困難であるう。

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