第3巡:紹介:松井 担当分

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発表:2003/06/19

基礎プロジェクト 要約
「イノベーションのジレンマ」

30801 松井 健太郎

第3章 掘削機業界における破壊的イノベーション
 破壊的技術のもう一つの例として、ここでは掘削機業界を取り上げる。この業界は変 化の激しいハイテク業界とは異なるが、業界の歴史の中で大手企業が部品やアーキテク チャーの漸進的、抜本的な持続的イノベーションに何度も成功してきたこと、その顧客 体系と経済構造の問題から当初は無視されていた破壊的技術、油圧式によってほとんど の機械式ショベルのメーカーが追い落とされた点において、ディスク・ドライブ業界と 共通している。破壊的技術の出現から数年のうちに確立された市場への侵食が起きたデ ィスク・ドライブ業界とは違い、油圧式掘削機は市場で勝利するのに20年がかかった が、その動きは、とめることのできない確固としたものであったといえる。
 はじめ、機械的掘削機械の動力は蒸気であった。最初は、蒸気ショベルはレールに取 り付けられ、鉄道や運河の建設で土を掘削するために使われていた。20年代初頭、蒸 気エンジンにかわってガソリン・エンジンが現れ、業界は大きな技術変動に直面した。 しかし、その技術変化の性質は抜本的なものであったが、ガソリン技術が機械的掘削機 業界に与えた影響は持続的なものであった。ガソリン・エンジンは馬力が大きいため、 よほど大型のものを除いて、どの蒸気エンジンより早く、確実に、低コストで土砂を移 動できた。この技術のイノベーションをリードしたのは、業界の主力企業であり、蒸気 ショベルの大手メーカーのほとんどが移行をうまく乗り越えた。新規参入企業もいくつ かあったが、この移行を支配したのは実績ある企業である。(P100、図3・2参照)つづ いて行われた大きいがそれほど抜本的でない持続的な技術(ディーゼル・エンジンと電 気モーターを動力とするショベルや、アーチ型ブーム)の移行に際しても、実績ある企 業が採用し、成功を収めていた。
 しかし、業界の多くを失敗に追い込む大きな技術革新が現れた。第二次大戦の少し後 から60年代後半まで、主な動力源は依然としてディーゼル・エンジンだが、バケット を伸ばしたり持ち上げたりするための新しい機構が現れた。ケーブル駆動システムに代 わって油圧駆動システムが生まれたのである。50年代に事業を行っていたケーブル式 掘削機の実績あるメーカー約30社のうち、70年代までに存続可能な油圧式掘削機メ ーカーへと移行したのは、わずか4社だけだった。ほかの企業はハイエンド市場に逃れ たか、失敗した。このとき掘削機業界は、油圧式世代の新規参入企業が中心となってい た。なぜこのようになったのだろうか。
 掘削機の市場の顧客は、機械式掘削機の機能を作業半径とバケット容量によって測る ことが多い。1945年、各市場で使われる平均バケット容量は年率約4%で増加した が、この憎加率は利用システム全体のさまざまな要因によって制約をうけていて、工事 業者が求める容量の増加率には限度があった。
 最初の油圧式掘削機は、1940年代後半に開発され、「バックホー」と呼ばれた。 初期の機械の性能は既存の市場の顧客には意味がなかったため、新規参入企業は製品の 新しい用途を開拓する必要があった。これらの企業は小型の工業・農業用トラクターの 後部に取り付ける装置として、油圧式掘削機を販売し始め、第二次世界大戦後と朝鮮戦 争後の住宅ブームに、大規模な分譲地を工事した業者のあいだで、大きな人気を生んだ。 これらの初期バックホーは、小口顧客の扱いに慣れているトラクターや農工具のディー ラーにより販売された。初期の油圧式掘削機のユーザーは、ケーブル式ショベル・メー カーの顧客とは規模も、ニーズも、掘削機を購入する販売チャネルもまったく違い、新 しいバリュー・ネットワークを形成した。図3・3(P104)に示すように、油圧式掘 削機はどの掘削機市場で求められる伸び率をもはるかに上回ったため、この破壊的な油 圧技術は、当初の市場から大きな主流掘削機市場へと進出していった。1954年にト ラックに搭載する360度旋回可能なモデルを発売してから、一般掘削市場に油圧式掘削 機普及し始めた。
 油圧式掘削機技術の台頭にはっきりと気づいていたケーブル式ショベルの最大手、ビ ュサイラス・エリーは1950年、新しい油圧式バックホー・メーカーを買収した。ビ ュサイラスはその販売に当たって、最も有力な主流の顧客が関心を示さない、という問 題に直面した。ビュサイラスは、当時の油圧技術の状況を考えると既存顧客のニーズに 応えるために唯一有効な方法であったケーブル・リフト機構を利用した「ハイドロホー」 という新製品を開発した。製品の宣伝の対象がすべて一般掘削業者であったように、ビ ュサイラスは当時の油圧の特性が評価されるバリュー・ネットワークで破壊的技術を商 品化するのではなく、この技術を自らのバリュー・ネットワークに採用しようとしたが、 顧客にはあまり売れなかった。ビュサイラスはハイドロホーに改良を加えながら10年 以上販売し続けたが、ついに成功することはなく、顧客が求めていたケーブル式ショベ ルに戻った。図3・6にあるように、新規参入企業が油圧式掘削機市場を完全に支配し ていた。60年代、数社の大手ケーブル式ショベル・メーカーが油圧式ショベルを発売 したが、そのほとんどはハイドロホーと同様に既存の顧客とバリュー・ネットワークに 向けられたものだった。実績ある企業はこの破壊的技術を確立された市場に押し込もう としたが、成功した新規参入企業は新しい技術が評価される新しい市場を見つけた。油 圧技術は結局、主流の掘削工事業者のニーズに応えられるものにまで進歩したが、この 進歩を達成したのは新規参入企業であった。この技術との競争で、実績ある企業は負け た。自分たちの市場を守るために油圧式掘削機を遅れて導入し、生き延びたケーブル式 掘削機メーカーは、わずかに4社だけだった。それ以外の主流メーカーは、油圧式掘削 機を発売しなかった。設計のノウハウと量産ベースの製造コスト構造に問題があり、油 圧式が主流市場を侵食してきたときに競争できず、70年代初頭に市場から追い落とさ れた。油圧式とケーブル式が性能の面で並んだとき、油圧式のほうがはるかに故障しに くいことに気づいていた工事業者は、信頼性の高い油圧式に乗り換えた。市場の製品選 択の根拠が信頼性に移ったのである。
 後から考えれば、実績ある企業が油圧式製品担当の組織部門を油圧式を必要とするバ リュー・ネットワークに組み込んでおくべきであったのは明らかである。しかし、油圧 式が顧客に必要とされない技術であり、ケーブル式掘削機の性能を上げることのほうが 増益のチャンスがはるかに大きいことは明らかだった。油圧式に意味がなく、気づいた ときには遅すぎたのである。顧客の意見を慎重に取り入れた安定経営のパラダイムは破 壊的技術を扱うには役に立たない、それどころか、逆効果であることが多いのである。

第4章 登れるが、降りられない
 ディスク・ドライブと掘削機の歴史を見てきたように、バリュー・ネットワークに属 する企業は、上位のネットワークにならば移動することができる。しかし、破壊的技術 によって実現した下位市場へは移動できない。理性的な経営者が製品特性と収益性の低 いローエンド市場に参入したといえるケースはほとんどない。破壊的技術が影響力をも つのは各世代の破壊的製品を最初に商品化した企業が当初のバリュー・ネットワークに とどまらないことを選択することによる。破壊的技術が実績ある企業にとって危険であ り、新規参入企業にとって魅力的なのは、上位への移動性があるためである。企業の資 源配分プロセスでは、利益率が高く市場規模が大きい新製品案に資源を割り当てる傾向 があり、図3・3(P104)のような軌跡グラフにおいて、左下から右上に進むほど よくなる場合がほとんどである。一般に主流市場にしがみついたままではコストを削減 して収益性を高めることは難しく、粗利益率が高い高性能製品の市場に進むほうが簡単 に収益を増やすことができるため、下の市場へ移行するなど論外である。また、支援し たプロジェクトの成否が評価に直接影響するため、わが身と会社の利益を考えるマネー ジャーは、確実に市場の需要があるプロジェクトを支援する傾向にある。上に登ればて っとり早く成長と利益が手に入り、下から猛烈な攻撃が襲ってくるという非対称の問題 の中で、マネジメント面で最も悩ましいのは、優秀な―熱心に如才なく仕事をし、将来 の展望を持っている―マネージャーでは問題を解決できないことである。上層部が破壊 的技術の追求を決めたとしても、それが組織の構成員が考える組織としての成功、組織 内の個人としての成功に結びつくモデルと一致しなければ、「有能な」人材は情熱をも って仕事に取り組まないのが普通である。
 ある大手ディスク・ドライブ・メーカーが1.8インチ・ドライブを開発し、市場が 生まれれば発売できる状態にあった。しかし、10億ドル単位の売り上げを持つその会 社は、8000万ドルのローエンド市場を市場とみなさなかったため、その市場で発売 しなかった。実績ある企業は、自分たちが属するバリュー・ネットワークの財務構造や 組織の文化に束縛されており、その束縛が次の破壊的技術の波に迅速に投資する根拠を 見えなくしている。
 企業の顧客自体が上の市場へ移行した場合、ディスク・ドライブのような中間部品の メーカーは、同じように移行する競争相手や顧客の中にいるため、右上方向に移動して いることに気づかない可能性がある。このように考えると、主要な8インチ・ディスク・ ドライブ・メーカーが5.25インチ世代のドライブを見落としていたかが簡単に想像で きる。主な顧客であったパソコン・メーカーも、デスクトップ・パソコンの導入に成功 していないのである。14インチのメーカーの顧客においても同様である。上位市場の 利益率が魅力的である、顧客の多くが同時に上位市場に移行する、下位市場で利益をあ げるためにコストを削減するのが難しい、という3要因が絡んで、下位への移動に対す る強力な障壁となっている。このようにしてできた空白のバリュー・ネットワークに、 競争に強い技術とコスト構造を備えた新規参入企業が引き寄せられ、その後も容赦なく 上位市場を攻撃していく。
 鉄鋼業界において、60年代半ばにミニミルによる製鉄事業が出現した。総合製鉄所 とミニミルでは、継続的に鋳造と圧延を行うというプロセスはほぼ同じであり、異なる のは規模だけである。総合製鉄所のほうが、はるかに大規模な設備を必要としていた。 ミニミルは、低コスト、高効率であり、平均的には総合製鉄所と比べ、同等の品質の製 品を全原価込みで約15%安く生産できる。しかし、世界の大手鉄鋼メーカーの中で、 今日までにミニミルの技術を採用して製鉄所を建設した企業は一社もない。なぜか。ビ ジネス誌がさかんに主張する説明は、総合鉄鋼メーカーもマネージャーは保守的、後ろ 向き、リスク嫌い、無能であるというものだ。このような非難の中にもいくらか真実が あるのは確かである。しかし、優秀なマネジメントを誇る鉄鋼メーカーのいずれもが、 明らかに低コストであるミニミルに投資していない。なぜだろうか。ミニミルの鉄鋼生 産は破壊的技術であり、鉄くずを使うため、当初の品質はぎりぎりだった。そのため、 品質、コスト、利益率が最下層の鉄筋分野だけしか市場になりえなかった。また、顧客 の定着率も低く、思いのままに納入業者を乗り換え、とにかく安い業者と取引していた。 しかし、ミニミルは市場を違った面から見ていた。鉄筋市場で実績を築くと、ミニミル は下位の市場を次々と侵食していって、最終的には形鋼市場にまで侵食した(図4・3、 P136参照)。ここで重要なのは、総合鉄鋼メーカーの利益が80年代に大幅に増加して いることである。コスト削減に努めた事もあるが、高品質の圧延鋼板に焦点を絞った結 果でもある。ここでも、総合鉄鋼所は安定を目指して右上の市場に移行した結果、業界 リーダーの座からの転落を差し迫られる結果となった。

第2部 破壊的イノベーションへの対応
 5章から9章では、経営者が組織の性質に関する5つの基本原則を理解し、利用する にはどうすればよいかを詳しく述べ、10章で電気自動車の例を取り上げ、11章で結 論をまとめる。

第5章 破壊的技術はそれを求める顧客を持つ組織に任せる
 顧客があきらかに求めていない破壊的技術が出現したとき、経営者はどうするべきか。 顧客が拒否しようと、上位市場の技術より収益性が低かろうと、その技術は長期戦略に とって重要であると全社員に伝える方法と、独立した組織をつくり、その技術を必要と する新しい顧客の中で活動させる方法がある。この章で示す事例は、2番目のほうがは るかに成功する確率が高いことを強く示唆している。企業の投資を顧客が支配するプロ セスは、資源配分プロセスにあり、優れたプロセスは顧客が望まない案を排除するよう にできていて、どのプロジェクトを優先するかは、どのようなタイプの顧客や製品が企 業にとってもっとも利益になると理解しているかによって決まる。
 しかし、このような顧客支配のシステムを打破することは可能である。ディスク・ド ライブ業界の歴史の中で経営者が破壊的技術の市場で強力な地位を築けることを示す 3つの例がある。うち2つは資源依存の力と調和する方法をとっている。破壊的技術を 商品化するために独立企業を設立したのである。第3の事例ではこの力と戦い、消耗し ながらもプロジェクトを完遂した。
 8インチ・ドライブの大手カンタムは、5.25インチ・ドライブ市場に完全に乗り 遅れた。その後、3.5インチの潜在市場に気づいた社員はカンタムを辞め、新会社を 設立した。カンタムの経営陣はこれらの社員の行動を阻止せず、このプラスというスピ ンオフ事業に出資して株を保持し、新会社をカンタムとは別の場所に置いた。そして、 8インチ・ドライブの売り上げがなくなるとともに、実質的に旧カンタムを閉鎖して、 プラスの経営陣を上級管理職に乗り換えた。2.5インチ・ドライブへの持続的なアー キテクチャーのイノベーションにも成功した新生カンタムは、ディスク・ドライブ生産 台数で世界最大手になった。
 14インチ・ドライブの最大手CDCも同様の自己再編を行った。市場では出遅れ、 以前のような支配的な地位を取り戻すことはなかったが、容量が拡大した後の5.25 インチ・ドライブ市場では、一時、20%のシェアを獲得した。
 マイクロポリスは、カンタムやCDCのようにスピンアウト戦略をとらず、主流組織 の内部で改革を行った。CEOのスチュアート・メイボンが市場の需要と技術の供給の 軌跡に直感的に気づき、社内の主要な技術者を破壊的技術のほうに割り当てた。その後、 経営者の超人的な努力により、その市場で成功を収めた。図5・1(P155)は、同社 がなぜこのように苦しんだかを示している。マイクロポリスは移行にあたって、二つの まったく別の技術の軌跡に乗った。すべての主要顧客からはなれ、失った収入をまった く別の市場向けの新製品の売り上げで埋める必要があった。
 破壊的技術はこのほかにもさまざまな業界におそるべき影響を与えてきた。ここでは、 パソコン業界における破壊的技術の製品、小売業界におけるディスカウントストアの 台頭、プリンター業界におけるHPのインクジェットの例が挙げられている。

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